出かけた時から帰り道

バイクや車やフェリーや列車や飛行機や自転車による全国(時々海外)の旅行記群、分割日本一周の記録です。VTR-F乗り。(子育てのため長期旅行お休み中)

山奥ツーリング【4終】金山城、足利学校、さきたま古墳群、吉見百穴

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福島から観光をスタートし、新潟⇒群馬⇒栃木と山を越えつつ3日間が経過。山と雨というツーリングとしてはだいぶ辛い環境下で走り続けた4日目の本日が最終日です。

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(7:39)

ということでおはようございます、朝から雨です。

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【7/23】あぶくま洞~磐梯吾妻スカイライン、レークライン、恋人坂

【7/24】大内宿~飯盛山(さざえ堂)~会津若松城国道352号

【7/25】清津峡~土合駅~吹割の滝~丸沼堰堤

◆【7/26】金山城足利学校~さきたま古墳群~吉見百穴

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金山城

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(7:41)

昨晩は足利に泊まっていましたが、県境を越えて隣の太田市にある城跡へやって来ました。

関東では珍しく、多くの石垣が残る山城です。

太田市|金山城跡

公式はシンプルな紹介ながらも、添付されているPDFのパンフレットはやたら詳しい。ちなみに入場料などは無く自由に見て回れます。

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(7:47)

駐車場から尾根沿いの遊歩道をしばらく歩くと、さっそく石垣が出現。

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(7:50)

物見台跡。奥に見えるのは現代の物見台、手前にあるのは現代の三角点です。

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(7:51)

現代の物見台に登りましたが、真っ白で何も見えませんでした。

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(7:51)

貯水池として機能していたと考えられる月ノ池。向こうには大手虎口という防御拠点が見えます。

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(7:57)

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(8:12)

これらは発掘調査をもとに当時の姿を復元したものだそうです。石垣をこんな間近に見たり登ったりできる場所は珍しいのでは。

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(8:00)

日ノ池金山城が築城されるずっと前、10世紀の遺物が発掘されていて、古くから水に関わる祭祀を行う場所だったと考えられているらしい。

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(8:03)

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(8:06)

さらに石段を登った先が、かつて本丸だったとされる場所。

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(8:05)

現在は新田神社があります。

散歩やランニングや犬の散歩に来た地元民もいるような場所でしたが、関東では希少な山城の石垣なのでお好きなら是非。

 

【バイク駐車場情報 金山城

山の上に駐車場がありますが、新田神社までは片道トータル15~20分ほど歩きます。


足利学校

金山城を出ようとしたあたりから本降りの雨に襲われつつ、前泊地の足利へ戻ってきました。

わざわざ行ったり来たりしているのは、金山城にはオープン時間が無い一方で足利学校は9時オープンだったからです。多少の移動をいとわず朝一に詰め込みまくるスタイル。

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(8:59)

太平記館駐車場にバイクを停め、

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(9:01)

駐車場から足利学校へのアクセスのためにわざわざ造った感が丸わかりの歩道橋をわたると、

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それっぽい屋根が見えてきます。

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(9:05)

大人ひとり420円を払ったら入学証を貰えました。日本最古の学校は弁当程度の金を積むだけで入学させてくれるらしい。

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(9:23)

初めて来たのですが、足利学校と言えばな景色を速攻で目の当たりにしました。いきなりピークに出くわしてしまった感。

史跡足利学校 - 足利市公式ホームページ

足利学校の創建時期については記録が残っておらず、奈良~鎌倉時代にわたって諸説あり。足利氏政の保護を受けた室町末期には学生数3000人と盛況だったらしい。

授業の内容は儒学や易学(占い)、戦国期には兵学も学んでいたそうです。生徒は大半が僧侶。

歴史の中で浮き沈みを繰り返しながらも長きにわたって存続したのは、他に類のない多くの蔵書があったからのようです。しかし、江戸期以降は朱子学が官学化していたことにより衰退し、学校自体は1872(明治5)年に廃校になっています。

廃校と共に敷地の半分は小学校に転用されましたが、1980年代に小学校の移転や史跡としての保存整備事業が進みました。孔子廟や学校門などの現存する建物は史跡に指定されています。身も蓋もないことを言うと、現在敷地内にあるデカい建物の結構な割合は現代の再建です。

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(9:28)

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」「腹八分目」的な孔子の教えに基づいた器がありました。空だと器は傾き、水を程よく入れると垂直に安定し、しかし入れすぎると再び傾いて水が全てこぼれてしまうという器です。

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(9:38)

こぼれるギリギリまで入れてその場を後にしました。

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(9:30)

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(9:30)

現代の足利学校は漢字テストらしい。

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(9:33)

相変わらず雨は結構しっかり降っていたのですが、足利学校を見て回るうちに雨雲が通り過ぎ、すっかり止みました。青空さえ垣間見えるレベル。

 

【バイク駐車場情報 足利学校

太平記館(足利市観光協会)の東隣にある「太平記館駐車場」が利用できます。無料です。


さきたま古墳群

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(10:56)
いよいよ帰り道がてらになりますが、埼玉県に突入してもまだまだ観光は続きます。駐車場にバイクを停めて物干し大会をしてから次の観光をスタート。

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(10:58)

さきたま古墳群のあるさきたま古墳公園です。思っていた以上に広いし古墳がいっぱい。国内でも有数の大型古墳群です。

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(10:58)

そしてここは埼玉という地名の発祥地でもあります。現在は行田市に含まれていますが、かつての名前は埼玉村。さいたまではなく「さきたま」。だから古墳群もさきたま。

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(11:03)

まずは公園内部にある埼玉県立さきたま史跡の博物館へ。古墳群の出土品が展示されています。

トップページ - 埼玉県立さきたま史跡の博物館

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(11:05)

関東の大型古墳地図。楽しい。

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(11:10)

全国の銘文刀剣一覧。楽しい。

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(11:14)

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(11:12)

そしてこれが1968年に、さきたま古墳群のひとつである稲荷山古墳から出土した長さ約73.5cmの鉄剣です。

5世紀に作られたとされるこの鉄剣、何が凄いかというと、当時のヤマト朝廷の権力が既に広範囲へ及んでいたことを証明する決定的な証拠となったのです。

稲荷山古墳出土鉄剣 - Wikipedia

さかのぼること1873(明治6)年、熊本県の江田船山古墳からは鉄刀が発見されていましたが、保存状態が悪く銘文の肝心な部分が欠落していました。しかし、稲荷山古墳出土鉄剣はその銘文を完全に読み取ることができました。これらを照らし合わせることで江田船山古墳出土鉄刀の銘文を推測することができるようになり、同時に大王(おおきみ)の勢力が九州から関東にまで及んでいたことの証左になったのです。

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(11:13)

「獲加多支鹵大王(わかたけるおおきみ)」というのがその肝心の部分。第21代雄略天皇を表す文言です。これらの時と場所が離れて発見されたふたつの出土品が結びついて事実をつまびらかにしていった経緯、超好き。めっちゃ好き。

ちなみに江田船山古墳鉄刀は東京国立博物館ですが、稲荷山古墳鉄剣は文化庁が所有者で、こうして稲荷山古墳の近くで展示されているのです。ですが僕は以前この鉄刀と鉄剣が並んで東京国立博物館に展示されているのを見て、えらく興奮したものです。激熱シチュエーション。

 

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(11:22)

ではその激熱シチュエーションの立役者となった現場を歩いて回りましょう。おおむねハーフコースの順路で歩いて行くぜ。

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(11:32)

大切に。

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(11:33)

丸墓山古墳。円墳です。

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石田三成忍城(おしじょう)を攻める際に本陣を敷いたそうです。確かに高い。

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そしてこちらが噂の稲荷山古墳さん。

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(11:48)

上部には石室の再現図がありました。まさにこの場所からあの鉄剣が出土したのです。

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続いての前方後円墳将軍山古墳

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(11:55)

この古墳は登れはしないのですが、側面が削られて展示館になっています。しかし、コロナ感染対策を理由に現在は閉鎖されていました……。

 

【バイク駐車場情報 さきたま古墳群】

埼玉県立崎玉史跡の博物館から県道を挟んで向かいに、広い駐車場があります。無料です。


吉見百穴

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(12:37)

今回最後の観光地へ。「よしみひゃくあな」と読みます。

雨は上がっており各種雨対策装備も乾ききっていましたが、もうしばらくするとまたこの辺りに雨雲が差し掛かることが分かっていたので、レインカバーやカッパを出したうえでバイクを離れました。

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(12:39)

大人ひとり300円を窓口で支払って入場すると、早速メインの光景です。

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(12:39)

吉見百穴は今から約1400年前(古墳時代後期)に造られたとされる、岩山を掘って造られた横穴墓群219基という数は国内最大規模のようです。明治時代にはコロボックルの住居と推定されていたこともあるらしいです。

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(12:42)

一角には、太平洋戦争中に地下軍需工場とするためのトンネルが掘られています。このために元から存在していた横穴が十数個崩され消滅しているそうです。

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(12:42)

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(12:42)

岩山の下方には、関東平野では貴重なヒカリゴケの自生地となっている穴があります。彼らはこの穴の環境が変わってしまったらどこへ逃げることもできず根絶やしになってしまうんだろうか。

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横穴群のど真ん中を階段で突っ切ることができます。

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(12:45)

横穴にすぐ近くまで寄ることができます。

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(12:46)

ただ、登りきったところで何か特別なものがあるかというとそういう訳でもありません。

 

【バイク駐車場情報 吉見百穴

目の前が駐車場です。無料です。でっかいです。

 

ここから自宅の神奈川までは高速でひとっとび。走り出して間もなくのうちに雨雲とぶつかることは必至だったので、カッパやレインカバーは出発前にあらかじめ装着しておきました。

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(17:02)

もちろん雨には降られていますが、最終的に17時前には帰宅し荷解きを終えていました。

 

ということで、4日間かけて福島・新潟・群馬・栃木・埼玉を結んでいく山奥ツーリングでした。めちゃくちゃ遠い訳ではないけれど日帰りではしんどい場所をまとめて一網打尽にするという計画のもと遂行しました。手首に入れたプレートを取る手術をした後一発目のロングツーリングだったので、もし何かあればすぐ帰宅できるロケーションにしていました。しかし蓋を開けてみると連日雨に降られるというなかなかハードな行程という。

 

以上、最後までありがとうございました。

 

旅行期間 2020.7.23~2020.7.26

旅行記完成 2020.9.2