出かけた時から帰り道

バイクや車やフェリーや列車や飛行機や自転車による全国(時々海外)の旅行記群、分割日本一周の記録です。VTR-F乗り。(子育てのため長期旅行お休み中)

山口県2泊3日の旅【2】




【第二章】海、山、夏みかん



移動しまくりの初日から打って変わって、2日目は終日萩観光です。

ただし今晩の宿は岩国のほうなので、夕方には出てまた車で移動します。
観光地ってとりあえずなんでも朝が早くて夜も早いので、夕方以降を移動に充てるといちばん観光に時間を割けるんですよね。そして夕飯の場所に困るという。


8時ちょっと前に宿を撤収。荷物を車に置き、まずは歩いて行ける範囲から攻めます。


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大板山たたら製鉄遺跡。
道中に見かけて、変わった公園だなと思いきや遺跡らしい。
……遺跡と言いつつ、見えているものはあらかた復元っぽいのですが。


宿から徒歩で30以上掛かってしまいましたが、今日一発目の目的地はこちら。


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言わずと036.jpg知れた松陰神社です。
吉田松陰についての説明は、ここでは割愛するので教えろという人はWikipediaでもご参照ください(投げっぱなし)。

ちなみに駐車場は無料でした。無料なら何の変哲も無い町を30分も歩かずにおとなしく車で来れば良かったかもしれない……途中たたらくらいしか見つけなかったし……。


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これがかの松下村塾である。
……ちっさ。
とはいえ離れの建物にしては十分すぎる大きさか。

実を言うと僕は世田谷にある松陰神社には小学生の頃に行ったことがあります。高校生の頃から松陰先生ファンだった母に連れられて。
世田谷の松陰神社にも松下村塾の建物(複製)はあるのですが、10年以上越しに本物を目の当たりにすることができました。

一応2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』(吉田松陰の妹かつ久坂玄瑞の妻が主人公)をさらーっと眺めているのですが、現存する松下村塾を見た第一印象は「うおー大河のセットにそっくりだ!」というろくでもない感想でした。ごめんなさい。


現存する当時そのままの塾があれば、当然ながらその隣には旧宅もあります。
松陰が幽囚された部屋もちゃんと見ることができます。


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3畳半。
うわあせまい。

こっちは本当にせまいぞ。同じ3畳半にしてもこの間取りはキツくないか。


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おみくじは中吉でした。

よそのおみくじ同様に恋愛の欄もちゃんとありますが、「35まで奥さんとかいらねえし」と宣言して、結局妻を迎えないまま30年足らずでこの世を去っている松陰先生の神社に恋愛の願掛けをする人はいるのだろうか。

……と思いきや、縁結びの絵馬が沢山ぶら下がっているんですよね。これぞ神道の器の広さ。


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「親思う心にまさる親心 今日のおとずれ何ときくらん」の歌碑。
松陰が処刑の1週間前に詠んだ歌ですな。


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神社から出ようと鳥居を抜けたら、開きっぱなしの倉庫から松陰先生が見えた。
正直すごいびっくりした。

ちなみに、松陰先生が好きで好きで仕方なくて松下村塾に入れるものなら入りたいって人は、


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鳥居の脇にある土産物屋さんで入塾許可証を売っているのでお買い求め頂ければと思います。

ちなみに、神社と隣接して宝物館「至誠館」や「吉田松陰歴史館」という施設も併設されています。


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歴史館の表には、伊藤博文山県有朋の蝋人形が待ち構えています。
もしかしなくても怖いです。そして値段がそこそこしたのでスルーして次へ行きました。




駆け抜けるようというか松陰神社しか行っていませんが、萩の東側の観光はこれにて終了。

宿の駐車場に止めっぱなしだった車を拾いに戻って、萩博物館の駐車場まで車で移動。
ただし萩博物館そのものには入らない。いい具合に市街地の中心部にあるので、この博物館は萩観光の基点にもなっているようです。


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車を降りて徒歩で移動。
市街地や観光スポットがひとつの島に収まっているとはいえそこそこの広さになっているので、レンタサイクルが盛んなようです。僕らは歩きましたが。


目的の場所へ向かっている途中、右手に緑の茂みと鳥居を発見したので何かも分からないながらとりあえず突入。

「天樹院」という、毛利輝元の墓所でした。

毛利輝元は萩の藩祖です。それ以上の情報はググってください僕もはっきりと分かっていません。
天樹院と言う名前自体が輝元の法号のようで、元は死後菩提寺として建立されたものの、明治維新直後に廃寺となったんだとか。


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現在は墓所だけが残り、拝観料が求められます。20円だけど。無人だけど。

看板のすぐ向かいには、


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石でできた料金箱。20円しか回収しないくせに金かけすぎだろう。


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廃墟っぽいものが好きなのでこういう雰囲気もわりと嫌いじゃない。


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薄暗い写真からもお察しいただけると思いますが、怖いと思う人は怖いかと。墓所ですし。
そして、これだけ写真の枚数を割いていますがぶっちゃけそこまで万人受けするスポットかといえばそういうわけでもない。



で、徒歩で向かっているのはどこかといいますと、萩城址です。

しかしまだ朝ごはんを口にしていません。
宿に朝食のサービスをつけることもできたのですが、朝食現地調達というろくにありつけないまましばらく移動するハメになるドMコースをあえて選択していました。


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城址入り口そばのお店でブランチにありつく。
うまいこと写真が撮れなかったのですが、広い店内いたるところに瓢箪が吊るされている。なんなんだ何が目的なんだ。


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うどん。
たしか乗っかってるお肉が地元産の牛肉だった。

店内には1匹2匹ではきかない数の大きなアブがぶんぶん飛んでいて、怖がって逃げる同行者は噛まれてひーひー言ってました。僕は冷めた目でうどんをすすっていました。
店員さんは笑顔でハエ叩きを振り回し、かたっぱしからぶちのめしていました。いや、どうせやるなら僕らが退店する間際じゃなくて先にやってくれい……。


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腹ごしらえをしたらいよいよ萩城址に突入です。

すごい意図的な構図。ちなみにこの写真を撮る前に、この2人に写真を撮るのを頼まれました。旅先で写真をよく頼まれるマン。


城址というだけに、建築物はほとんど残っていません。
が、石垣の上を歩けるなどわりと開放感はあります。


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こんなところを歩ける、かなり奔放な城址である。

さらに内部へと入っていくともうそこは城址というか庭園と公園の中間みたいな状態なのですが、一番奥まで行くと、


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(展望台なし)

なしと言い切っているあたり潔い。けどねえのかよ。


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ちょっと前、石垣の上を歩いている時に撮った写真。
奥に見える小高い山がこの山です間違いありません。

……とまあ、ここまで引っ張ったらお察しかとは思いますが、展望台なしと言われようが登りました。

ガチ山道でした。

途中まではそこそこ石段が整備されていたものの、後半戦はナチュラルに登山。


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通り道に突き出た枝木をくぐり抜けたり、丸太の間を通り抜けたりしながら歩くこと約15分(と書くと体感よりあっさりと感じられる)。


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頂上に着くと、城壁や石垣といった遺構が現れました。
ここの山は指月山(しづきやま)と言い、萩城の別名「指月城」もそこから来ています。
場内にあるこの山にも当然ながら砦が築かれ、戦時に篭城するための最後の砦として要害と呼ばれていたそうな。


なお、要害の遺構はありながら展望台の類は宣言どおり存在せず。


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ちょっと見晴らしが良さげな場所を見つけましたが、あまりにも蚊が多くて5秒で退散しました。カメラを持ち上げるその腕に複数匹止まりやがるんだもの。


下山中、登ろうとする男性二人組とすれ違う。

「展望台って本当にないんですか?」
「ありませんよ(平然)」
「見晴らし良かったりもしませんか?」
「んー、ほとんどないですね☆」

それでも彼らは登ることを止めませんでした。
下山後、休憩所の東屋で休んでいると、その二人組がやって来て我々に一言。

「お疲れ様でした。本当に何も見えないっすね☆」

互いの労をねぎらいましたとさ。


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休憩所にあったポスター。
艦これを皮切りに昨今は城まで擬人化されているのか……。


城址の敷地内にある、人の手がしばらく加えられていないようでやっぱり整備されていない日本庭園や、


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いい具合にさびれた神社などを見てひととおり回りつくすと、城址の敷地を出ました。
出て目の前にあった堤防に登ってみると、


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うーーみだーーーーーーーーーー


地図を見れば一発でお分かりいただけると思いますが、萩城は三方を海に囲まれています。
それにしてもここまで海らしい海を見ていない(昨日の夜海沿いを走ったが真っ暗)ので、「お、おうこんな近くに」とびっくりしました。


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しばらく歩くと、城壁の向こう側に出ることができました。
すごく広々とした空間です。芝生もはげず茂りすぎずのいい具合。
向こう岸には海水浴場も見え、そっちの方には人がたくさんいましたが城側にはてんでいません。


城の脇の門から出て海沿いをぐるっと歩き、正面へと帰還。
正面入り口の前の通り一帯には萩焼のお店が並んでいます。
……写真は、撮れそうな雰囲気でなかったり禁止されていたりだったのでありません。

萩どころか山口の観光地に行けば、そこかしこで売っている萩焼。

同行者とも意見が一致したので書きますが、この萩城址の正面一帯にある何件かの店が、この3日間で見た中で一番いい感じの焼き物を売っていると思いました。
少なくとも、数千円レベルまでのものだったら。

ということで、萩焼を買うのであればこの辺りがおすすめです。店によっては店舗のすぐ脇に登り窯があるところも。


萩に来たのは今回が初めてなのですが、萩焼自体はだいぶ前から好きだったり。
家で使っている湯飲みは萩焼き。かつては茶碗も萩焼でした(今は愛媛の砥部焼を使っています)。
新品の萩焼はほわほわした色合いですが、使っているうちに湯飲みならお茶の色がにじみ出るなどして、徐々に渋くて落ち着きのある色味になります。

ということで、湯呑みあたりの用途に萩焼を是非どうぞ。
使い込むうちに徐々に変化する色合いも良いですし、厚みがあるので手に持っても熱くないです。
そして買うなら萩城の周りがおすすめです。


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萩城を離れ、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋へ。
なぜ来たかといえば、萩城址の入場券を買うとここもタダで入れるからです。
由緒正しい毛利の分家の屋敷の中でも、唯一残った歴史的価値の高い長屋です。
……うん、長屋でした。


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萩城の模型の展示もあります。ややホコリかぶりぎみだけど。


萩城を離れ、こんどは城下をてくてくと練り歩きます。
城下は今でも普通に人が住んでいる住宅地ですが、塀やら建物やらは極力景観を維持しようと努力しているのが見てすぐ分かる町並みです。


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現存する武家屋敷として著名な口羽家住宅。
……入り口の写真なのは、臨時休館とのことで入れなかったからです。


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そしてこちらが萩城下で有名な「鍵曲(かいまがり)」。

敵の襲撃を想定し、左右を高い塀で囲み、道を鍵の手(=直角)に曲げることで見通しを悪くした通りのことです。

今なお鍵曲を見ることができる場所として紹介されているのはたいがいこの一箇所だけなのですが、城下をぷらぷらしていると、「あ、ここもきっと鍵曲だったんだろうな」と察しがつく道の形がちらほら発見できます


鍵曲の場所はもちろん、その付近の一帯は昔ながらと思われる塀がかなりの割合で残されています。その壁面が白い漆喰で塗られていたり、茶色い土があらわになっていたり、土と瓦がミルフィーユみたくなっていたりと色々なバリエーションがあって不思議だなあと思っていたら、


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崩壊途中のこんな壁を発見。
要するに、表面がどれだけ崩れているかの問題で元は同じような塀だった模様。
ということは、時代が時代だったらそこかしこ白い塀だらけの町並みだったんだろうか。それはそれで綺麗そうだけど道に迷いそうです。

……あ、そのための鍵曲か。


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公立中学校の塀すらこれである。



城下町をねりねりと東へ歩き、再び萩博物館の界隈に戻って来ました。
やはりこの近辺は明らかに観光客が多い。城下の風情が残っていて、中を見学できる建物が多いというのもあるでしょう。

観光客が多いということは、店屋も多い。
ということは忘れてはいけないのが、


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そう、ソフトクリームですね。昨日に引き続き夏みかんです。
昨日のに比べて色こそ薄いですが、味はこちらの方が濃厚というか、「夏みかん搾ってそのままぶち込んでみました!」的な風味があって美味しいです。


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菊屋家住宅や旧久保田家住宅といった、古い商人のおうちが公開されているのですが、中はまあいっかと表だけ撮ってスルー。

軽自動車が1台ギリギリ通れるかのような細い路地にも、人がわさっと集まっているポイントが何箇所かあります。
そのひとつがこちら、


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高杉晋作誕生地。
100円を払って敷地内に入ることができます。が、建物内に上がれる訳ではなく、庭や通路から家屋の内部を覗いたり展示を読む形になります。
結果、見て回る範囲は非常に狭く、僕らが行った時も観光客が猫の額の庭にひしめきあっている状態でした。


ちなみに、生誕地のはす向かいには高杉晋作広場なるものが。


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銅像がぽんと置いてあるただの広場です。



木戸孝允生誕地もこの城下町にあります。なんかまあいっかってことで入り口だけ撮影して入らず。


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世界遺産登録と大河ドラマというビッグウェーブの時期だからか、この萩城下は街の規模のわりに観光客がそこそこ多めでした。
というか団体客が多いのか。

ただその分、土産から飲食までいい感じのお店も沢山並んでいます。何を隠そう、ここで僕は萩焼のフリーカップを購入し、職場の机でペン立てとして使用しています。
……さっきあれだけ萩城すぐの店たちをお勧めしておきながら、当の本人はここで買いました。いや、この辺も良さそうなお店ありますよ。こんな僕ですらウィンドウショッピングをする気になってぷらぷらと歩き回りました。



で、そろそろ車のところへ戻ろうとしたのですが、先ほどソフトクリームを食べた店の前を再び通りかかります。
当初からちょっと気になっていたのがこの光景。


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この、ガチで搾ってます感を前面かつ全面に押し出している夏みかんジュース。
というか搾った後の皮を置いてるもんだから香りもすごい。


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まあ飲むよね。
うまくないはずがないよね。


博物館の駐車場に戻ったら、今度は車で移動。
次の行き先も萩の市街地内で車なら目と鼻の先の場所、


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旧明倫小学校です。

○明倫小学校ホームページ

明倫館というかつての長州藩の藩校がありましたが、明倫小学校はそれを前身に持つ市立の小学校。
写真は昭和10年から昨年まで使用されていた校舎で、現在は隣の敷地に建つ新しい校舎が使われています。


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ってお洒落すぎるだろう新校舎。

これらに現在併設されているのが、『花燃ゆ大河ドラマ館』。

○文と萩物語 花燃ゆ大河ドラマ館

大河ドラマの舞台とはいえこんな大層な施設を……と思って建物をよく見たら、新築でこそあるものの体育館でした。きっと大河ブーム後は普通に小学校の体育館として使われるのでしょう。

ちなみに有料ですが中には入っていません☆


ふとすぐ近くの自販機に目をやれば、


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この二人の肖像というよりは、もはやただの伊勢谷友介大沢たかおの似顔絵である。


話は旧明倫小学校の校舎に戻りまして。

本館の中を見学することはできませんが、すぐ隣にある有備館は内部に無料で入ることができます。

○ぶらり萩あるき 有備館

明倫館時代の剣術場・槍術場だった建物。
移築こそされていますが、坂本竜馬もここで試合を行ったんだとか。


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ボランティアのおば……お姉さんに話し掛けられたよ。

有備館の内部を見学し、旧校舎の外観をぐるっと見て回ったり校舎脇にあったシーソーで遊んだりして、大河ドラマ館には入らずにざっと1時間程度。
大河ドラマ館はH28年1月までのようですが、入場料を払わなくても出口側から建物内に入るとショップだけは見ることができました。セコいって言うな。


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移動の車内でも夏みかんを摂取する。

下道の国道を中心に車を走らせ3時間弱。
明日の観光場所から少し離れた本日の宿に到着。なんのことはないビジホである。

バリバリの国道沿いで近くに観光地らしい食事処も見当たらないので、ホテル内で夕食をとり2日目は終了でした。


【第二章】萩編 ~終~