出かけた時から帰り道

バイクや車やフェリーや列車や飛行機や自転車による全国(時々海外)の旅行記群、分割日本一周の記録です。VTR-F乗り。(子育てのため長期旅行お休み中)

トカラ上陸記【2】宝島上陸、イギリス坂、観音洞

※この旅では現地到着後すぐに怪我を負い旅を中止したため、観光要素はほとんどありません。準備や往路までは参考になる部分もあるかと思いますので記録として残しておきます。そして何より、今後も旅を続けるにあたり自戒の念を込めて。

 

口之島(くちのしま)

翌4月27日。船内放送で起こされました。昨晩フェリーとしま2に乗船し、寝て起きた朝です。

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(5:04)

デッキに出てみると、目の前に島がありました。トカラ列島最北端の口之島です。僕がまず最初に訪れようとしている島は、列島の中でも鹿児島から最も遠い島。つまり、この最初の下り便でトカラ列島有人島をとりあえず一度すべて船上から見ることができるということです。

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(5:09)

車両が乗り降りするためのランプウェイが掛けられます。離島行きの船といえば「条件付き運航」(船は出るけど接岸できるか保証はしないよ。キャンセル料取らないからやめたい奴は申し出てな)が付きものですが、フェリーとしま2ではランプウェイのみが条件付きとなる「ランプウェイ条件」というのもあるようです。

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(5:09)

人口129人(2018年3月現在。以降も同様)。鹿児島を出たフェリーが最初に寄港するので、言わずもがな十島村の最北端にして玄関口の島です。アダンという植物の北限地だったり、野生牛が生息している島です。

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(5:28)

20分ほどで離岸。だんだんと空が白んできました。

人の乗り降りはあっという間で、接岸している時間の大半はコンテナの積み下ろしです。

 

ちなみに、旅の下調べ段階では僕が持つスマホの通信会社であるauは、トカラ列島全域で圏外との情報でした。基本的に携帯はdocomoしか通じなかった時代が長く、ソフトバンクは近年ようやく繋がったとのこと。

しかし、実際にトカラ列島に差し掛かってみると、スマホは普通に電波が通じていました。どうやらこの2019年の春ごろから順次auも開通していたようなのです。
ということで、2019年4月現在の時点でトカラ列島の有人全島(少なくとも港一帯)では大手3社すべての電波が入ることをご報告します。

 

中之島(なかのしま)

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(6:10)

ちょっとファンタジー感があって好きな写真。

最初の口之島に着いて以降はそこそこのスパンで島を転々とするので、あまりガッツリ寝て待つこともできません。2つ目は中之島です。

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(6:22)

中之島の人口は159。少なく見えますが、それでも7つの有人島のうち最大人口の島です。最大人口なだけに、歴史民俗資料館や天文台といった施設もこの島に集中しています。ただし役場は鹿児島にあり、中之島にはありません。

 

諏訪之瀬島(すわのせじま)

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(7:24)

3つ目はこちら。トカラ列島では中之島に次いで2番目に面積の大きい島ですが、島の大半が火山活動による立ち入り制限により観光できる範囲および集落はそこまで大きくありません。というか、この時も見るからに噴煙が上がっていました。
ちなみに人口79はトカラ4番目です。

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(7:34)

陸路では行けず、船でしか行くことのできない秘湯があるそうです。漁船をチャーターしなきゃいけないそうです。

 

平島(たいらじま)

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(8:41)

人口は64。平家の落人伝説が残ることからこの名前なんだそうです。島内には、都からの追手が来ていないか監視していたとされる洞窟なんかもあります。

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(8:45)

そんな由来なので、決して島そのものが平らなわけではありません。むしろ港を出たら即急斜面な模様。

 

悪石島

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(9:49)

人口73。決して多くの人に知られているわけではないトカラ列島ですが、その中でもこの島が一番知名度が高いと思われます。というのも、2009年に起きた日食ではここ悪石島が今世紀最長の6分25秒という長さで日食を観測できる場所だったからです。とはいえ、当日の現地は屋外にいるのも危険な嵐だったようですが。

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(9:52)

あるいは、お盆の終わりに現れる仮面神「ボゼ」でも有名な島です。何を隠そう、僕がトカラを知ったのは「世界ふしぎ発見」で青ヶ島と一緒にこの島が特集されていたことがきっかけです。

 

小宝島

人口は53人口・面積ともに最小の島です。ゆっくり歩いても島一周に1時間も掛からないという本当に小さな島です。

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(11:27)

この島は外観が非常に特徴的で、妊婦が横たわっているようにも見えると言われます。
同じトカラ列島でも、これまでの島が火山だったのに対し、小宝島とこの次の宝島はサンゴ礁でできた島です。悪石島と小宝島の間にはトカラギャップと呼ばれる海裂があり、ここで生物相が大きく変化するようです。たとえば、ハブはこの小宝島にはいますが、ひとつ北の悪石島には存在しないんだとか。

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(11:37)

サンゴ礁の島なので、海の青さが尋常じゃありません。あえて撮って出しのまま載せます。

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(11:40)

船が停泊できるくらいの水深なのに、海の底がしっかり見える。すごい。

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(11:54)

ちょうど雲も晴れてきて、みるみるテンションもうなぎのぼりでした。

 

宝島

人口131。フェリーとしま最後の寄港地にしてトカラ列島では有人最南端の島です。

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(12:27)

今回の旅最初の目的地はここです。港の法面にある大きな壁画が特徴。海底都市が描かれています。

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(12:33)

15時間ぶりの陸地です。

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(12:34)

港には予約していた宿に迎えに来て貰っていたので、まずは宿まで車で移動です。

 

浜坂荘

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(13:02)※後で撮影

宝島でお世話になるのは浜坂荘さん。宝島には民宿が4つありますが、ゴールデンウィーク期が一年で最も観光客が集中する時期だそうです。かくいう自分も民宿に泊まれるのは向こう3泊分のみです。

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(12:41)

予約した時点で部屋が決まっていたわけではないようで、率先して女将さんに付いて2階に上ると、来た順で適当(良い意味)に部屋が割り振られました。滅茶苦茶広い部屋になりました。この4分の1でも構わないくらいの広さです。

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(12:53)

程なくして昼食に呼ばれました。牛とじ丼です。

ごはんを食べたら、必要な荷物だけを持って宝島探検に出発です。

 

イギリス坂

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(13:10)

宿を出てすぐ、そんな名前の坂があります。成り立ちについては近くの石碑に詳しいので丸々引用します。

文政7年(1824)7月8日徳川幕府鎖国体制下にイギリス船数隻が宝島沖合に停泊し、多数の船員が艀に乗り前篭港に上陸して在藩官屯所を訪れ同港近くの牧場の牛と交易を願い出たが交易は不成立に終わり、そのため船員等は数名一組となって牧場の牛一頭を射殺する外数頭の牛を強奪し、他の一組は在藩官屯所に向けて鳥銃を乱発する行動に出たので、当時藩庁より出張中の𠮷村九助がこれに応戦して、内一人を射殺したと云う。地元では、この一連の事件を通じて応戦現場を中心にイギリス坂と称している。
徳川幕府は、宝島の事件を重視し翌年二月に異国船打払令を発令して一段と鎖国体制を強化した事が証明されている。
十島村に於ては、今般村誌を創刊するに当り記念事業として石碑を建設し、その由来と歴史的重みを後世に伝えるものである。

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(13:09)

襲撃してきた国の名前をそのまま採用するってシンプルだけどすごい話ですね。

 

宝島集落

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(13:12)

イギリス坂を上る途中で左に曲がると、まずは郵便局に差し掛かります。船内で書いておいたはがきをここで出しておきました。

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(13:13)

道を挟んですぐ隣にあるのが宝島へき地診療所。自分でへき地って言っちゃったよ。ちなみに村立です。

いるのは看護師1名だけ。医師は常駐せず、十島村の7島を順番に回ります。よって、各島の診療所同士がテレビ通話できるようになっていて、カメラ越しに診察を受けることができます。

また、処置に掛かった点数計算(医療費の計算)もその場で精算できないため、保険証持参の場合は5千円、持参なしの場合は1万円を前払いし、月締めで後日差額を振り込んでもらう形になります。

……なんでこんなに詳しいかって? 後でお世話になるからです。

 

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(13:14)

案内板の上によくよく見ると斧が置いてあるんですが怖い。

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(13:15)

ほどなくして売店まで来ました。

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(13:16)

が、今は開いてません。知ってた。トカラ各島の売店は、昼間なら開いてるだろうどころの騒ぎではないので営業時間に要注意です。

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(13:15)

売店の向かいはガソリンスタンドです。給油したい人は売店に声を掛けるスタイルのようです。

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(13:23)

ちなみに売店と同じ建物の並びに役場の宝島出張所とコミュニティセンターがあります。フェリーとしまの乗船券もここで買えます。今のうちに翌日の乗船券を買っておきました。

 

観音洞

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(13:38)

ようやく島を観光していきます。宝島を一周する道路からちょいと外れます。

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(13:38)

こちらが観音堂の入口。車だったら1~2台は前に停められそうな感じです。この先、ちょいと階段を登りますがすぐに鍾乳洞に到達します。

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(13:40)

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(13:41)

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(13:43)

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(13:43)

観光地らしい観光地でもないので、ありのままの鍾乳洞に入ることができます。その気になればだいぶ奥まで行けそうですが、そこそこでやめておきました。

 

……さて、この観音洞に訪れた直後に怪我を負い、早々に旅の中断を余儀なくされます。

この先に旅要素はありませんし、ある程度痛い話もあるので読むことは特におすすめしません。