(8:13)
朝ごはんを食べたら、徒歩で近場の観光へ繰り出します。
(8:14)
コーガ石の塀の横を歩く。
(8:16)
新島にも教会があってびっくり。
(8:16)
十三社神社へ向かっていたら、道を阻まれ迂回を強いられました。
十三社神社
(8:25)
十三社神社(じゅうさんしゃじんじゃ)は新島の総鎮守。そして伊豆諸島最大規模の神社でもあるようです。
(8:26)
(8:28)
たしかに最初の鳥居をくぐってからの境内が広い。というか遠い。
(8:28)
(8:31)
他の神社ではお目にかかったことのない柱が……。
十三社神社から次は長栄寺へと向かいますが、宿で聞いたショートカットコースを使うことに。
(8:38)
十三社神社の最初の鳥居まで戻り、傍にある新島小学校の体育館と校舎の間を抜けます。
(8:38)
すると学校のグラウンドの脇を抜ける未舗装路に出ます。これを進めば長栄寺の前へ。
(8:39)
くまなく調査した訳ではありませんが、伊豆諸島は過去に流刑地だっただけに日蓮宗のお寺が多い印象です(歴史上幕府と仲が良くないことが多い)。
流人墓地
(8:39)
お寺なので当たり前ながら隣には墓地があるのですが、その一角に「流人墓地」があります。江戸期に流刑で新島に来て、流刑中に亡くなった人々はほとんどこの墓地に埋葬されているそうです。現在も使用されている共同墓地のすぐ隣ですが、この場所だけ一段低くなっている上、当時はこの隣接する2つの墓地を直接行き来することはできず別々の出入り口がありました。流人墓地に通じる当時の路(不浄道と呼ばれていたようです)は今でも墓地の北西側に残っています。
(8:51)
上木甚兵衛の墓と、その息子の像。
幕府直轄領だった飛騨で増税の反対騒動が起きた時、百姓側に立ち代官との交渉をした上木甚兵衛という人はその罪に問われ新島に流されましたが、子供に読み書きを教えるなどして島の人々に敬愛されていたのだそう。その後病の後遺症で不自由な体になると、知らせを聞いた彼の息子ははるばる新島へ飛びます。8年ほどの介抱の末上木甚兵衛はこの世を去ると、息子は自ら墓石を彫り、父が寂しくないようにとその横に自分の像を彫りました。後に息子は地元飛騨に戻りますが、上木甚兵衛の墓には常に傍に息子の像があったという次第です。今でも彼らの子孫がはるばる新島までお参りに来るのだそう。
前浜海岸
(8:51)
9:30には新島ガラスアートセンターが開店し昨日作ったグラスが受け取れるので、一旦宿(大沼モータースさん)へ戻り、原付に跨ってぼちぼち向かいます。
前浜海岸のところに楽しそうな場所があるので寄り道。
(9:14)
(9:14)
(9:16)
富士見峠展望台で見たやつがここにもあったのでついまたアホな写真を撮ってしまった。
(9:17)
ここにもいらっしゃるモヤイさん。
(9:18)
(9:18)
(9:19)
誰だお前。
(9:22)
この日早朝からやたら後輪が滑るなーと感じていたのですが、このあたりでなんと後輪がパンクしていることに気付きました。今いる前浜海岸の端からレンタカー屋(梅仁さん)までは300mくらいだったのでだましだまし乗っていけるかと思いきや、空気圧ゼロというかタイヤがホイールからぐりんぐりんと逸脱しそうなレベルでとてもじゃないけれど走行不能に。残り150mくらいは押して歩きました。そんな中でも律儀に満タン返しした自分を褒めてあげたい。
(9:39)
お店で事情を話すと快く別の原付に交換して貰えました。代わりがなんと2ストの原付でした。
2ストが何たるか超雑に説明すると、ガソリンエンジンの機構の一種です。パワーがある代わりにうるさくて燃費が悪くて排ガスが汚いので、ちょっと昔から法規制でこのタイプでは新車が作れなくなっています。
エンジンを始動した瞬間から明らかに違う音。アクセルを捻った瞬間からどつかれたように飛び出す加速度。かつてはこれで250ccなんかも普通に作られていたと思うと恐ろしい。ずいぶん前に友人の2スト原付に乗せて貰ったことはありますが、こうして4ストの直後に乗ってみるとその差は歴然でした。
(10:40)
昨日ぶりのガラスアートセンターに足を運び、手作りしたグラスを回収し、昨日断念した隣のガラスアートミュージアムも見学(前章参照)。
(10:41)
僕は借り直したばかりですが今度こそ原付を返しに行きます。左手に見えるのは昨晩真っ暗な中湯に浸かった湯の浜露天温泉です。
(10:53)
おそらく島唯一のガソリンスタンド。原付をレンタルした梅仁さんとは目と鼻の先です。
(10:55)
島で一番栄えている場所にある交差点なのですが、なんとここの信号は歩行者スクランブル式です。渋谷と一緒です。そりゃそうですよね同じ都内ですもの。ちなみにこの交差点、この向きから見て左は一方通行の出口(つまりここから左折禁止)なのでご注意ください。左に行きたければ一つ手前の角を曲がります。
(10:58)
梅仁さんに原付を返却した後、徒歩で宿へ戻って全ての荷物を回収。間もなく、宿の車で港まで送ってもらいました。
新島港・さるびあ丸
(11:29)
前から思っていたけれどこの青さは何なんだろう。天気が良すぎて12月なのに絵的には海パンで飛び込みたくなるレベルです。
(11:29)
天気が良すぎて、東京から160km離れている新島からも富士山が見えるレベルです。
(11:30)
12月としては「暑い」と言っていいレベルだったので、長袖シャツ1枚になって砂浜でアイス食っていました。こんな時期でもアイスを売っている新島港の待合所の売店はいったい。
(11:33)
港のすぐ横の砂浜で遊び、船が近付いてきたら待合所に戻るというシンプルな待ち方。
(11:35)
仰向けに寝そべる人。
(11:36)
前回り受け身を決める人。
(11:53)
(11:56)
往路と同様、東海汽船さるびあ丸に乗船。
(11:59)
(12:02)
出港。さらば新島。また来たい。
(12:06)
神新汽船のフェリーあぜりあも来ていました。
(12:11)
(12:24)
船旅はこの徐々に離れていく感じがとても良い。
(12:32)
気が済むまで見送ったところで船内のレストランで昼食。
(12:40)
食べている間に船は利島へ。何度見てもこの形は異常です。
(13:20)
勝手知ったる特2等船室。
(13:26)
(13:34)
(13:43)
富士山を眺めながら波に揺られる。天気良すぎやしませんかね。左側真ん中に見える富士山の子供みたいな山は、伊豆半島は伊東にある大室山です。
(13:43)
(13:45)
伊豆大島に寄港。ところどころ剥げている山の斜面はおそらく土砂崩れ跡。見えているのは2013年の土砂災害が起きたあたり、そしてその後復旧を果たした御神火スカイラインのあたりです。
(14:06)
この日のさるびあ丸ではかなり長い時間富士山を眺めていました。富士山ってなんでこんなにずっと見ていられるんだ……。
(19:40)
あとの船内はだいたい寝て過ごしました。東京に到着間際、TOKYO-MXでは劇場版ガルパンを放送していました。
(19:44)
さあ下船だ。船の規模のわりにはささやかすぎるクリスマス色を出すさるびあ丸。
(19:47)
(19:48)
本州上陸。船旅も回数を重ねてくると、この景色だけで帰ってきた感が出てきます。
(19:52)
そしてターミナルの入口両脇に待っていたのはモヤイ像。新島から来たであろうそれらがそこにいるのはずっと前から気付いていましたが、こうして新島から帰って来て見るとその思い入れが格段に変わっていました。
以上、新島への上陸記でした。
行程としても天気としてもほぼほぼ文句なしの大成功を収めた今回。離島企画では初めてのオールクリアでした。思っていた以上の絶景、思っていた通りに楽しかったガラス体験と、新島ガラスをたんまり買って帰れたことで大満足です。
実は新島には当初10月頃行く予定だったのですが、台風の接近により2か月延期しての再挑戦でした。10月に行けていた場合はガラスアートフェスティバルの準備期間のためガラス体験ができなかったため、結果オーライの逆転大勝利とも言えるでしょう。
新島はその規模や人口、観光資源を踏まえると、伊豆諸島で最初に行く島にしてもいいくらいに楽しくそしてちょうど良い島でした。
実は、計画段階ではすぐ近くにある式根島にもまとめて上陸する(2島間には連絡船が毎日3往復しています)案もありました。が、新島の観光量からしてもそこは無しにして良かったなと思います。ということで、他の島に負けずお薦めですので皆さんもどうぞ。
以上、最後までありがとうございました。
旅行期間 2017.12.1~2017.12.3
旅行記完成 2018.3.4